おみくじクリアフォルダ |
初穂料:300円 |
宝童稲荷神社 |
東京都 中央区 |
サイズ:7.7cm×24.3㎝(カット前) ※カットするとA5サイズのクリアファイルとして使用可能 |
授与日:2023/11/09 |
無人の小さな神社で、
こんなにかわいいおみくじが置かれているのはなかなレアです。
おみくじケースは点線で切り取るとA5サイズのクリアファイルとして使用できます。
★おみくじ結果★ |
このみくじに遭う人は光狐の運気 |
目指す方向に光明あり。 長らく努めてきたことが実を結ぶよき運気。 あせらずに進め。 |
宝童稲荷縁起:
宝童稲荷という小さなお社が祀られた四丁目三番の通り抜け路地は、稲荷小路と呼ばれておりました。 この宝童稲荷は、稲荷信仰がたいへん盛んであった江戸時代にもとは将軍家の跡継ぎの成長を守るために江戸城内に祀られていた神社でした。 この稲荷が、防災にたいへん霊験あらたかであったので、堂守りの弥左衛門という人が、神霊の分神を受けて現並木通りのに建立したのが、四丁目の宝童稲荷のはじまりといわれています。 宝童稲荷は、土商の分け隔てなく、守り本尊となり、弥左衛門も、居をここ定め、生涯稲荷のお守りをしたのでこのあたりを弥左衛門町と呼ぶようになりました。 宝童の名前にあるように、このお稲荷様は子供の健やかな成長を守る神様です。また、弥左衛門町を発祥の地とする名だたる企業が多いことから、商売繁盛の神様としてお参りする方が引きも切りません。 子宝、商売繁盛を祈願とし、よきご縁を授ける社として今日でも厚い仰を集めております。
銀座四丁目:
江戸時代より職人の町であった銀座は明治5年、大火を体験、そのことをきっかけとして煉瓦建築の西洋風町並みへ変貌していったのでありました。 明治35年の地図の中には、江戸時代の伝統的なつづらや和菓子を商う店が軒を並べている様子が伺えます。「伝統」と「先進性」が共存する今日の銀座の特性は、この頃から続いている、ということでしょう。 碁盤の目になった通りは、江戸時代からの街の単位に基づいています。中心の四丁目にある宝童稲荷周辺はかつてその勧進主の名前からとって、弥左衛門町と呼ばれていました。 明治中期より、この場所は時代を切り開く起業家たちの出発の地、となりました。 味の素の創始者や電通となった日本広告株式会社など、数々のサクセスストーリーが誕生していきます。 時代の申し子を引きつける場所の鎮守として、今日でも多くの実業家が宝童稲荷を訪れています。
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